紅色鮮やか
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4月下旬、三陸海岸の山田町大沢にある「大沢の臥竜梅が満開」
という新聞記事が目に入りました。それではとばかり、さっそく現地
に向いました。報道どおり、満開の紅色鮮やかなウメが満開で出迎
えてくれました。
このウメは八重咲きの紅梅ですが、幹や太い枝が横に這って地
面に着くと、そこから根が出て子株ができるという珍しい習性をもっ
ています。その子株からさらに孫株もできて、現在は7株のウメにな
っています。その様子があたかも竜が横に臥した姿を思わせること
からついた名称で、がりゅうばい、またはがりょうばいと呼ばれてい
ます。
このような臥竜梅は全国的にも珍しく、他には国や府県が天然記
念物として指定しているものが10ヵ所ほどあるということです。その
ほとんどが白梅系で、ここの紅梅系の臥竜梅は全国でも珍しい貴
重なものということです。 |
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岩手県指定の天然記念物
所在地 山田町大沢9-65 |
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大沢の臥竜梅
所 在 地 山田町大沢第9地割65番地
指定年月日 昭和47年10月27日 県指定
臥竜梅とは主幹が横臥するか枝が下垂するかして、その接地点から根を生じて地上を臥う
梅の総称であり、花の色や八重咲、一重咲には関係ない。
日本全国では、国指定や府県指定のもの10本ほどが知られているが、本樹は根回りや樹齢
において数値が大きいほか臥竜梅として植栽された北限地に当たるものである。
1.周囲 3.50M(一番太いもの)
2.樹高 4.50M
3.樹齢 280年(平成12年現在)
4.分枝 東西18M 南北4.5M (7株に分枝している)
5.花 渋紅色八重
6.来歴 当時織笠村昆仁兵衛氏の庭から移植されたものと伝えられているが
記録がない
(家人のお話では、その昔、この家に嫁いできた人がもってきた鉢植えの梅を現在地に移植し
たところ、それが広がったもののようだということです。記録がないということなので、小説家に
なったつもりでロマンの世界を描いてみますと、その鉢物は交易で中国から日本にもたらされ
たもので、好事家の手をいろいろ経ながら当地沿岸の有力な資産家の手に渡り、娘さんの結
婚祝いに当家贈られた……推定樹齢からすると、時は江戸時代中期、8代将軍徳川吉宗の頃
ということになります) |
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大津波に耐えた 大沢の臥竜梅
2011年3月11日の午後、三陸・宮城県沖でマグニチュード9.0という巨大地震が発生し、10mを
超える巨大津波が三陸沿岸を襲い、当地山田町も壊滅的な打撃を受けました。この臥竜梅は山
田湾から約200m離れ周囲の住宅地より3mほどの小高い丘の中腹にありますが、津波の海水
は樹高2.5mある木の半分ほどの高さまで達したそうです。津波のあと、家人が井戸水と木酸液
をかけ続けたところ、遅ればせながら4月下旬に見事花を咲かせたそうです。いつまでも生き続
けてほしいと願わずにはいられません。 |
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所在地 二戸市福岡字鍵取 |
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梅に因んで、二戸市の九戸城址の庭園址にあるという古梅園を訪ねてみました。ここには
九戸城主・九戸政実もめでたという由緒あるウメの木があります。(天然記念物には指定さ
れてはいません) |
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由緒ある梅ノ木も老木で枯死寸前。接木による世代交代も図られているようです。 |
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普通ウメの花は5弁ですが、ここのウメは6弁あるのが特徴ということで、
よく見ると確かに6弁ありました。 |
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「ウメ」についての豆知識
ウメは中国が原産で、奈良時代以前に遣唐使によってもたらされた舶来の花ということです。
その当時は白梅で、万葉の時代は唐文化の象徴として庭にも植え、白梅賛美の歌も詠まれ
ました。万葉集ではウメを詠ったものが118首あり、サクラはその3分の1に過ぎないといいます。
平安時代になると紅梅が好まれるにようになりました。ウメの人気は江戸時代に最高潮に達し、
園芸品種が数多くつくられています。
ウメは根の再生能力が高いので鉢植えに最適な他、非常に変異性に富む植物で、枝、葉、
花、果実などに複雑な変化を生じています。観賞用の花ウメ、実を食する実ウメと大別されま
すが、品種は300種程あるということですから、まさに千差万別です。
東北地方ではウメは4月の花ですが、南九州地方では1月中旬から開花始まり、下旬になる
と太平洋側では水戸の周辺まで咲き始めるといいます。旧暦に当てはめるとまさに正月の花と
なり、正月とウメの関係が理解できます。また「梅と鶯」ですが、これは中国にはなく、日本だけ
のようです。
臥竜、昇竜などウメはいろいろ形が竜に例えられますが、竜も梅も「中国出身」で、なるほどと
頷けます。
なお、臥竜梅の名木中の名木として、次ぎのところが全国ベスト5として挙げられています。
(週刊花百科44号)
○瑞巌寺の臥竜梅(宮城県松島町)
文禄2年(1593年)、伊達政宗が朝鮮より持ち帰った紅白一対のウメが本堂前を飾
る。一つの花に8つの実がなることから臥竜八房の梅とも呼ばれ、絢爛たる花姿は
見る者を圧倒する。
○余田の臥竜梅(山口県柳井市)
室町時代のものと伝えられ、かつては根元の周囲5.5mを誇る巨木だった。現在で
は四方に伸びた枝が竜のごとく地に伏し、新枝から一重咲きの白花を見事に咲か
せる。国の天然記念物。
○高岡の月知梅(宮崎県高岡町)
「月ならで誰かは知らん咲き匂う老木の梅の春のむかしは」という歌にちなみ、島津
藩主光久公が命名。江戸末期には1株だったウメの木が今や64株の梅林に。白い
八重咲きの大輪が咲こ誇る早春の光景は圧巻。国の天然記念物。
○湯之宮の座論梅((宮崎県新富町)
神武天皇ゆかりの元木が今では80株の梅林をなす。座論梅の名は、ヘの字に波打
つ幹が、車座になって話し合う人の姿を思わせることに由来するといわれる。国の天
然記念物。
○藤川天神の臥竜梅(鹿児島県東郷町)
菅原道真が植えた1株のウメから増えたとされる梅林に、国の天然記念物指定され
た50本の臥竜梅が。樹齢1000年を超える老樹が地をはう姿は神妙をきわめ、八重
咲きの花もまたみごと。 |
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