世界でも例のない大原石
琥珀大原石
 人気の高かったNHKの連続テレビ小説「あまちゃん」。その舞台にもなった岩手県久慈市の小袖海岸は、日本最古の地層を有する北上山系が、急激に海に落ち込んで形成されたところです。豪壮な断崖と、赤銅色の岩礁群。男性美に富んだ景観をなしています。岩礁が多いために磯漁業が盛んで、大尻浜、小袖浜は、ウニ・アワビを採る「本州北限の海女」の活躍の場でもありました。
 その久慈市は琥珀の産地としても知られています。一帯は琥珀が含まれる古い地層が走り、世界的にも有数な琥珀産地となっています。その地層の一部は海岸まで伸び、小袖海岸のすぐ南にある野田玉川・米田海岸は、琥珀原石を産することで知られています。
 久慈市には地元で産した、世界最大級の琥珀大原石があります。その最大のものは久慈市が指定する天然記念物にもなっており、訪ねてみました。その足で、日本で唯一の琥珀博物館となっている久慈琥珀博物館を訪れ、ロマンに満ちた琥珀の世界に暫し浸りました。 
   琥珀大原石  久慈市指定の天然記念物
 所在地 久慈市川崎町17-1 久慈市文化会館 
          この琥珀大原石は1927年(昭和2年)夏井坑道で産出され、個人(佐々木幸吉氏)が
         所蔵しておりましたが、1997年(平成9年)「琥珀の里 久慈市」に寄贈されました。現在
         は久慈市文化会館で公開・展示され、自由に観賞することができます。
          現存する琥珀の大きな原石としては、この他にも同じく久慈市夏井から産出された
         16キログラムの大塊があります。そちらの方は2塊に割れてはいますが、昭和16年に
         東洋琥珀興業から国立科学博物館に寄贈されています。10キログラムを超える大塊
         の記録は世界の琥珀産出記録に例がないと言われていますが、久慈琥珀博物館に
         は10.4キログラムの大団塊が展示されています。久慈地方は世界でも稀な琥珀大原
         石の産地でもあるわけです。
          琥珀の大原石ということに関していえば、1896年(明治29年)に発表された鈴木敏氏
         の地学文献によると、「久慈枝成沢と夏井村鳥谷の琥珀は第三紀層中産出し、10年前
         12貫(45kg)琥珀大塊を産し、両所虻入りの奇品、野田で美麗琥珀を産す」とあります。
         (川上雄司氏提供資料から引用)。45sと言えば、この大原石に倍する超大形の原石と
         なりますが、その存在は確認されていません。            
        (解説版)              久慈琥珀 
            幸福の石、太陽の石とよばれるl琥珀。久慈琥珀は約8,500万年
               前の松柏類の樹脂が化石化したもので、宝飾品としてはもちろん、
               学術的にも稀少性をもっています。久慈地方は我国有数の琥珀産
               地で、その歴史は遠く古代へのロマンをかきたててくれます。
                この琥珀大原石は世界でも例のない大原石であり、久慈市の
               夏井村から産出されたものです。
                    重量は19.876キログラム、高さ40センチメートル、
                    幅40センチメートル、20センチメートル

                             琥珀大原石
                                    佐々木幸吉氏 寄贈
久慈市文化会館内に、さり気なく展示されています。
久慈琥珀博物館    
    所在地 久慈市小久慈町19-156-133
      大正時代の琥珀坑道跡を博物館にした国内唯一の琥珀博物館です。2004年には新館も開館し、
       その内容がより充実しました。館内では数多くの展示品や映像などによって、自然科学、人文科
       学の両面から琥珀を紹介しています。
        また体験メニューもあり、琥珀の神秘に触れて体感することもできます。
新館(左)と本館(右)。両館の背後に琥珀採掘坑道跡があります。
       (案内板)         世界唯一・見学用琥珀坑道跡

          「琥珀採掘坑道を一般公開しているのは世界中ここだけでしょう。驚きました」と、
          世界的な琥珀研究者であるドイツのシュレー博士は語っています。


       久慈地方で産出する琥珀は古くから採掘の対象とされ、江戸時代には南部藩
         の財源として管理されていました。
          ここの坑道跡は、他県から来た琥珀掘りが大正七年頃に採掘したものです。ま
         た、当地方では琥珀採掘場を通称「くんのこほっぱ」と呼び、現在もなお採掘して
         います。
               
         琥珀採掘坑道跡を歩く……この地層が8500万年以上も前のものだとは……
           まさに悠久の時に育まれた琥珀。タイムカプセルそのもの。それは地球か
           らの贈り物です。
            久慈産琥珀の原木樹種はどんな樹種か。いろいろ推定されていますが、
           ナンヨウスギの化石が多く、ナンヨウスギ葉入りの琥珀も発見されているこ
           とから、原木の一つはナンヨウスギであることが確実とみられています
これが久慈琥珀博物館内に展示されている久慈産の琥珀大団塊(10.4キログラム)
                  虫入りコハクについて
                   館内で上映中の画像を撮ったもの(外国産の琥珀)

    館内には虫入りの琥珀が多く展示され、映像でも紹介されています。琥珀のもとになるものが
     流動的な樹脂なので、しばしば周囲に棲んでいる昆虫・小動物・植物はじめ、水や空気などを包
     み込むことがあります。その中でアリやハチ、ハエなどが入った琥珀は「虫入りコハク」と呼ばれ
     ています。進化した生き物の遠い祖先たちが、体も細胞もそのまま保存されているので、「虫入り
     コハク」は学術的価値が非常に高いものになっています。
      久慈産の琥珀にも「虫入りコハク」が昔から知られていたようで、文献などにもその記録がありま
     すが、1984年(昭和59年)までは学術的には実物標本は一点も残されていませんでした。全く意
     外なことと言わなければなりません。その標本は、1984年3月に久慈市宇部町和野の上山琥珀
     坑道で上山菊太郎氏が採掘・発見した、ゴキブリ入りのものが最初と言うことです。(前述の川上
     雄司氏の資料による)。
      「虫入りコハク」の研究が進展すれば、DNAに関する研究が進んでいる事と合わせて、今後い
     ろいろな発見につながるのではないかと夢を膨らませてくれます。恐竜映画「ジュラシックパーク」
     の鍵になったのが、「虫入りコハク」でした。琥珀の中から恐竜の血を吸った蚊を見つけ出し、そこ
     から恐竜のDNAを取り出すところからストーリーが始まっています。こういうことが現実になるので
     はないか……まさに琥珀はロマンの宝庫です。
               現在も坑道採掘 (有)上山琥珀工芸
     久慈産の琥珀を採掘し、久慈の特産品として琥珀の普及に努めているのが(有)上山琥珀工芸
      です。創始者上山菊太郎氏は、琥珀の魅力に惹かれ、「琥珀の里」として地場産業育成めざし、
      久慈琥珀の採掘実現を夢見ておりました。ついに決断して久慈市課長職を退職し、1981年(昭和
      56年)9月に久慈市宇部町和野の地に琥珀採掘坑道を開坑しました。自らツルハシ・スコップを使
      っての掘削スタートで、採掘には多大な苦労が強いられたようです。その努力が実り、今日では日
      本で琥珀を商業採掘している坑道としては採掘量が最大で、質的にも良質の琥珀原石を産出して
      います。虫入り琥珀も多く産出しています。
       現在上山琥珀工芸工房では琥珀アクセサリー作りが体験ができ、その体験学習会なども各地
      で開催されておりますが、そこで使用する琥珀原石はすべて地元坑道から採掘された原石が使
      われています。

               (詳細は「上山琥珀工芸」のホームページをご覧下さい)
                コハクについての豆知識

  コハクは樹木が傷ついたり、枝が折れたり、あるいは病気になった時に傷口を守るために出す分泌
  物「樹脂」が化石になったものです。そのことがわかったのは18世紀になってからのことで、古代には
  それを説明しようといろいろな試みがなされています。中国人は虎の魂が石に変化したものと信じま
  した。そこで中国では(日本でもそうですが)、今日でもコハクの名称に虎の漢字を用いています。古
  代ギリシャでは、パエト−ンが太陽神アポロンの車を乗り回している時に、神々の王ゼウスが雷で彼
  を殺し、そしてそれを悲しむヘリアデス姉妹の涙がコハクの小滴と変化したという神話がありました。
   コハクは古い時代からアクセサリーやお守りとして重宝され、その交易も盛んでした。琥珀の交易と
  言えばヨーロッパの「アンバー・ルート」が有名です。この路は紀元前3000年頃が始まりといわれ、フェ
  ニキア・ギリシャ・ローマの商人たちが陸路や水路を通じて、バルト海沿岸地方から地中海諸国にコハ
  クを運び、バルト海地方には金属製品などを運んで、通商貿易が盛んになり、古代アンバー・ルートが
  発達しました。日本におけるコハク交易の始まりも意外に早く、縄文時代に遡ることが各地の遺跡から
  コハク製の玉類出土によって確認されています。

   古代からコハクに特別な関心が向けられたのは、この石の美しさだけではなく、昆虫などをその中に
  有する透明な物質であること、燃えることすらあること、大変軽いこと、ウール布でこすると紙片などを
  引き付ける性質(静電気発生)などがあったといわれています。もう2千年以上も前にこの「電気的」特
  性が知られた時に、コハクは「エレクトロン」と名づけられています。この言葉は「電気」を意味する言葉
  として生き残っています。
   現在知られる世界最古のコハクということでは、約3億年前の石炭紀のものがあるそうですが、久慈
  地方のコハクも古い方で、約8,500万年〜9,000万年前の白亜紀後期のものとされています。世界の
  主なコハク産地であるバルト海沿岸地方のコハクは4,000万年〜5,000万年前、中国撫順のコハクも
  4,000万年〜5,000万年前、ドミニカ共和国産のコハクは2,400万円〜3,800万年前のものとされていま
  す。
   コハクは原木となった樹種のちがいや樹脂が分泌した時の環境条件、また蓄積した時の環境条件
  などによって、原石にはいろいろな形があり、色もさまざまです。形としてはつらら形、しずく形、板状
  形、棒状形、地面に流れてたまったあんぱん形や2つ以上の塊がくっついたもの、幹の中や空洞にた
  まったものなどさまざまです。色も無色透明、赤、青、緑、黒、白など、文字通り色とりどりです。概ね
  久慈地方産のコハクは赤味を帯びた茶褐色、縞目模様、黒色、バルト海沿岸地方産のコハクはビー
  ル色、乳黄色、白色、中国・撫順地方産のコハクは赤味を帯びた濃褐色、ドミニカ共和国産のコハク
  は淡いアメ色など年代が若く、虫入りコハクが多いという特徴があります。