岩手県内屈指の巨木
多賀神社の姥木
 雫石町が指定する天然記念物には平成24年に指定された「岩手山神社
の夫婦杉」を含めると、4ヵ所のスギの老木が含まれています。以前に指定
されている3ヵ所のスギは現地取材していますので紹介いたします。
 盛岡市の西方に位置する雫石町は盛岡と秋田を結ぶ最短の秋田街道の
通路となっており、古代より戦略の道として往来が盛んでした。鎌倉時代に
源頼朝が藤原氏との決戦の際、鎌倉軍のうち出羽を進んだ側衛軍が国見
峠の東を超えて本軍と合流したとされていますし、江戸時代には物資の交
易ルートとして、また幕府・諸藩の馬買役人や諸国巡見使が雫石経由で盛
岡に入ることから、その整備も図られてきたようです。雫石宿、橋場宿など
の宿場もありました。
 天然記念物のスギがあるところはいずれも神社で、その神木として大切
に扱われてきたことがうかがえます。
            多賀神社の姥木  雫石町指定の天然記念物
 所在地 雫石町御明神多賀神社境内
      雫石町内の神社は由緒のはっきりしたものは少ないようですが、御明神の語源と伝えられる
       多賀神社は最も古い社で承元元年(1207年)創建とされています。その神木が「多賀神社の姥木」
       で、雫石町のホームページによると次の通りになっています。
          ・目通り周囲 7.7m ・樹高 40m ・推定樹齢1540年 (いずれも平成6年7月の指定時点)
       なお日本観光協会による雫石町のぺージには、御明神の名の由来について下記の記述があり
       ます。
            承元(1207〜1210)の頃、源氏の武将の家臣「木村太郎三郎」が武士の生活を
           捨て、近江の国の多賀大明神に御神剣を奉じ、ご神体を持って諸国修行に当地
           を訪れ、山津田から平渡に向かい竜川を渡ろうとして神剣を流出し、村人の協力
           で竜川の淵から探し出し、小祠を建て「明神」として祀った。のち、村が展けてか
           ら「近江明神」とよび村の名を「御明神村」と呼ぶようになった。代々別当職を務
           める木村氏は木村太郎三郎の直系。境内にある老杉は1600年を経ていると言わ
           れている。                 
社の右手に神木の「姥木」が見えます。
        悪いものは通さないと、すごい形相をしています。左右の2体を、守護獣・霊獣と
         されるこまいぬ(狛犬)と一般にいっていますが、本来は右に置かれているのは
         「獅子」で、左に置かれているのが「狛犬」という区別があったんですね。どうりで
         左右にちがいがあるわけです。右側の「獅子」はライオンが原型のようで、口を開
         いています。そう言えば寺門にある金剛力士像も左は口を閉じ、右は口を開いて
         いますね。
紙垂の下がった締め縄部分の周囲を測ったところ8.5mありました。
何とまた麗しい自然の造形ですね
           山祇神社の姥杉 雫石町指定の天然記念物
所在地 雫石町南畑12地割大村
    山祇神社は明治3年の神社統合で南畑村として残され、明治6年に村社となりました。
    「姥杉」はその神木で、雫石町のホームページによると次のようになっています。
        ・目通り周囲 6.1m ・樹高 36m ・推定樹齢1400年 (いずれも平成6年7月の指定時点)
     雫石町史に出ている「伝説と昔話」には、山祇神社にちなんで次のような昔話が出ていますので
    紹介いたします。
                           ほいど雨
             (南畑大村の鎮守山祇社のお祭りは旧暦8月12日で雨降りの日が
              多い。この雨を地域の人たちは「ほいど雨」といっています)
             天保の頃のことです。山祇社のお祭りの日、一人のほいどがやって来ました。
            大村ではどこの家でもお祭りの日は来た人に濁酒を出してもてなすのがならわ
            しでした。このほいどは酒くせが悪く、振る舞い酒にすっかり酔っぱらってしまっ
            て乱暴をし始めました。若ものたちは「ほいどのくせにこの野郎」と2〜3人かかっ
            てつかまえ、橋の上から濁流に突き落としました。ほいどは下流で水死体となっ
            て発見されました。藩政の時代で人間の中に数えられなかったほいどのことな
            ので無縁仏として埋められました。こうしてほいどの怨みが残っているのか、山
            祇社お祭りには雨が降るようになりました。
神社は小高いところにあり、社殿右側に見える太いスギが姥杉です。
              雫石神社の杉 雫石町指定の天然記念物
所在地 雫石町西根12地割北妻
       雫石神社は明治3年の神社統合で西根村として残され、明治6年村社となりました。現在上西根の
      産土神となっています。この神社は「タンタン」の名で親しまれ、滴石(雫石)の地名の起こりと伝えら
      れ、その伝説があります。「雫石神社の杉」はその神木で、雫石町のホームページによると次のよう
      になっています。
         ・目通り周囲 5.3m ・樹高 38m ・推定樹齢1340年 (いずれも平成6年7月の指定時点)
        「雫石」の地名の起こりについての伝説は現地の看板に表示されていましたので、その写真を掲載
        いたしました。
天然記念物に指定されているスギは、社殿奥の左手に見えるスギです。
周りのスギはまだ若く、このスギは別格で保存されてきたことがよくわかります。
       岩手山神社の夫婦杉                      雫石町指定の天然記念物
  所在地 雫石町長山
(取材次第掲載の予定)
           横欠のからかさ松   雫石町指定の天然記念物
  所在地 雫石町上野横欠
      雫石町にはスギの他に1本のマツが天然記念物に指定されていますので、合わせて
       紹介いたします。「横欠のからかさ松」です。所在地を探し当てるのに苦労しましたが地
       元の人に教えていただき助かりました。その人が仰るには、昔はもっと枝葉に広がりが
       感じられて、まさに唐傘のようだったとのことです。現地を訪れてその姿を確かめました
       が、囲むように周りに植栽されているスギに圧迫されているような感じがして、広がりを失
       ったような姿をしています。これらのスギがさらに大きく高くなっていくとその影響はさらに
       強まるものと思われます。
        この「横欠のからかさ松」が天然記念物の指定を受けたのは平成17年(2005年)で、そ
       の前年に測定した数値が雫石町のホームページに次のように出ています。

          ・目通り周囲 5.62m ・樹高20m ・推定樹齢300年 (平成16年時点)
       このマツには伝説があって、昔から山神様の木といわれ、神木で伐ると血が出ると言っ
       て所有者が代わっても伐られずに、ただ1本巨木となって立っています。