田鎖神社の ブナ・イヌブナ林  ブナは日本の山に生える代表的な木で、太古の昔から日本の自然の態系といのちを支え続けてきました。ブナは山の恵みを象徴するような木です。岩手県においては標高200〜300mから1000〜1100mの山地で見られますが、北上高地では地形が比較的なだらかなこともあって、古い時代から開発が進み、原生状態を残す森林はほとんど見られず、山地でブナを見かけることは稀です。奥羽山脈系の山も特に戦後ブナの皆伐とスギ、カラマツの植林が大規模に進められ、ブナは標高の高い奥山に辛うじて残されているというのが実態です。
 そのような経緯をたどり、寿命もあまり長くない(200年〜300年と言われている)こともあって、岩手県内で天然記念物に指定されているブナ関連のものは少なく、岩手県が指定する「田鎖神社のブナ・イヌブナ林」と、宮古市が指定する田老の「ブナの巨木」、それに葛巻町が指定する「イヌブナの群生」に限られています。
 但しブナに関しては、岩手県内では見事なブナの二次林を見ることができますし、和賀川源流部や葛根田川源流部では不伐とされているすばらしいブナの原生林を目にすることができます。
 今回「田鎖神社のブナ・イヌブナ林」を取り上げましたが、ブナにちなんで、それらも合わせて紹介いたします。
田鎖神社神社の ブナ・イヌブナ林 岩手県指定の天然記念物
 所在地 宮古市田鎖
    道路からの入り口を探していると、道路際に細い山道があり、その登り口に何やら案内板があります。
   近づいて見ると、そこが「田鎖神社ブナ・イヌブナ林」への入口でした。この案内板があって助かりまし
   た。田鎖神社には細い山道を登っていくことになります。300メートルもあるなんて……。
         細い山道はジグザグ状の上りになっていて、息を切らしながら登っていくと、
        行く手に鳥居が見えてきました。神社はもうすぐです。
         鳥居を過ぎると神社が見えます。田鎖神社です。左手にアカマツの老木が
        あり、右手に解説板が見えます。
           案内板には、この神社の社叢となっている林が天然記念物に指定された由縁が解説
          されています。この林の中ではブナとイヌブナが混ざって生えており、その下にはスズ
          タケが生え、太平洋側北上高地の典型的な森林の姿を呈しているというのです。今で
          はほとんど見ることのないその原生に近い林相が評価されました。また樹皮が細裂した
          ブナがあるということも指定ポイントになっています。
           ブナは日本海側の雪の多い地域に多く分布し、太平洋側には少なく、一方イヌブナは
          太平洋側の宮城県以南に多く分布し、北上高地が北限とされています。イヌブナの樹
          皮はブナより黒っぽく、クロブナとも言われ(ブナはシロブナとも言われる)、ブナより劣
          るような名が付けられていますが、生物学的にみればブナに類似しており、単に適応し
          ている環境が異なるだけとみていいようです。色が白っぽく滑らかなブナ比べて、イヌブ
          ナの樹皮は黒っぽくザラザラしていることから、イヌブナは人気がなくて損をしているよう
          ですね。
       社殿の左右・背後に社叢が広がっています。林内は人の手が入らない原生に近い状態が
        保たれています。
                  これはよく見慣れたブナですね。
       樹皮が黒っぽく、いぼ状になって……これはイヌブナでしょう。左奥はブナのようです。
       樹形、樹冠などの様子からブナのようですが、幹が細裂しています。枝葉が高くて、
        それを確かめられないのが残念。樹皮が細裂し滑らかな樹皮をもつ典型的なブナと
        明らかに異なる個体が、この林内に4個体生育しているそうです。
安比高原ブナ二次林 所在地 八幡平市安比高原
        安比高原スキー場で名が知られる前森山の北方一帯は安比高原と言われていますが、ここ
       には休憩施設のある芝生高原を囲むように見事なブナ二次林が広がっています。かつて薪や
       炭を得るため人が入ってブナの林を皆伐した後にできたブナの二次林で、他の植生との厳しい
       生存競争のことを思うと、このようなブナだけの純林ができるというのはちょっと不思議です。
       林床の状態などから察するに、かつて牛などの林内放牧を行った影響も考えられます。
        フワフワしたじゅうたんを敷いたような林内の散策は、快適の一語に尽きます。

         新緑のブナ二次林を歩いてみましょう(5月末)       
 (クリックすると拡大できます)
                安比高原ブナ二次林 (案内板の解説はつぎのとおり)
     「ブナは昔から、地元の人達によって漆器の木地材や薪炭材などに利用するために伐採され
      その跡に幼樹が育ち、伐採と更新が繰り返されてきました。このブナ二次林もおよそ60年前の
      昭和初期に炭を焼いたり薪にするために伐採され、伐り残した親木から落ちた種子が発芽して
      できたブナ林です。これらブナ林はやがて巨木となって私達に恵みを与えてくれるでしょう」
                           (平成元年9月)
      今度は秋のブナ二次林を歩いてみましょう(10月上旬) 
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真昼ブナ指標林 所在地 西和賀町前郷
      西和賀町前郷から真昼岳に登る登山道から少し離れたところにも見事なブナの二次林があります。
     ここも薪炭材伐採の跡のようですが、太いブナの母樹が随所に残って、林の形成経過がよくわかりま
     す。自然観察会の絶好の舞台にもなっています。
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和賀岳自然環境保全地域 所在地 西和賀町
      ブナ原生林というと、世界遺産にも指定された青森県と秋田県にまたがる白神山地がよく知られています
     が、岩手県と秋田県の県境の山岳一帯にも見事なブナ原生林が残っています。その一つが西和賀町の和
     賀川源流部一帯で、その一部は1981年国により「和賀岳自然環境保全地域」に指定され、不伐の森とされ
     ています。現地には岩手県側からは高下登山口から和賀岳をめざすことになりますが、和賀岳山頂に至る
     コースは、終始ブナ原生林に包まれています。自然環境保全地域内では看板にあるように、指定された動
     植物をとること、土石を採取すること、樹木を伐採することは禁止されています。
      自然環境保全地域の指定は岩手県側に限定されていますが、隣接する秋田側の地域、とりわけ朝日岳、
     志度内畚、二ノ沢畚一帯、それに堀内沢一帯も残された貴重な秘境であり、当然環境保全地域の指定を受
     けるべきでしょう。国への働きかけの強弱が反映していると思われますが、それらの地域もぜひ追加指定さ
     れるよう働きかけたいものです。  
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葛根田川・玉川源流部  森林生態系保護地域 所在地 岩手県雫石町・秋田県仙北市
      JR盛岡駅のすぐ南で北上川と合流する雫石川。この雫石川本流の上流部は葛根田(かっこんだ)川
     といって、その源流部は秋田県側に袋状に大きく食い込んで広がる広大なブナの原生林地帯です。葛
     根田渓谷の奥には「滝ノ上温泉」があり、その少し上流には葛根田地熱発電所があります。葛根田川の
     源流部に広がる葛根田の森は、原生の姿をとどめる貴重な森で、自然観察会などの中心舞台にもなっ
     てきました。
      この森も、危うく根こそぎ伐採されるところでした。木材生産一辺倒の国の森林政策によってです。現
     実に1986年から10年間で流域を伐り尽くしてしまう計画が立てられ、全長13キロの葛根田林道計画のう
     ち3.5キロは完成し、アキトリ沢に橋をかけたところまで工事が進みました。滝ノ上温泉の奥右手の北白
     沢、松沢周辺のブナ原生林は縦横無尽の作業道で、手付かずの原生林は点在するだけです。
      この計画ををストップさせたのは、1980年代に全国的に高まった自然を守る「原生林を守れ」の運動で
     あり、「八幡平の葛根田ブナ原生林を守る会」を中心とした自然愛好家や幅広い岩手県民の世論とその
     運動でした。
      全国的な自然保護運動の高まりの中で、1990年10月、盛岡市で「ブナ・原生林・自然を守る全国集会」
     が開かれました。これは長野、知床で開催されてきた流れを受けて、岩手県内の自然保護団体を軸に多
     くの市民団体、文化団体、労働組合などが集まり、さらに東北地方の自然保護団体も参加して結成した
     実行委員会主催で行われたものです。その内容や規模からして、画期的な集会でした。新聞・テレビで
     も大きく取り上げられ、大きな社会的発信となりました。
      この集会の模様は、集会に向けて寄せられた各種報告や資料を事前にまとめた「予稿集」(下記写真
     左)と、集会後にまとめられた「報告集」(下記写真中)に集約されています。地球規模で環境問題に社
     会的関心が高まりつつある中で、この大会の発信は大きな社会的アピールとなりました。
       この盛岡での全国集会の成功がてこになり、その後「日本の森と自然を守る全国集会」が、毎年全国
     各地を会場に開催されるようになりました。 
           盛岡から全国に発信 「ブナ・原生林・自然を守る全国集会」
「盛岡アピール」(全国集会で採択されました)はクリックすると拡大できます
全国集会終了後、葛根田の森で開かれた現地自然観察会の様子。乳頭山への登山班も編成されました。
葛根田渓流は紅葉の美しさでも知られています。
ブナの原生林は風倒木も多く、キノコの宝庫になっています。
林道が通ると、原生林は大きく破壊されます。
同じ「こうよう」でも、ブナは「黄葉」の方ですね。
         正面の山は葛根田の森のシンボル的存在の「葛根田大白森」です。計画ではこの山腹に
        林道を通すことになっていました。すでに右手手前のところまで伐開されています。ここ
        でストップがかかり、奥の森は辛うじて守られました。
          盛岡で「ブナ・原生林・自然を守る全国集会」が開催されたその翌年(1991年4月)、
         葛根田の森は国によって「葛根田川・玉川源流部 森林生態系保護地域」に指定され、
         不伐の森となりました。葛根田の森は危ういところで救われ、その原生の姿を後世に
         残すことができるようになりました。
        国民世論、県民世論によって守り抜かれた葛根田の森(葛根田川源流部のブナ原生林)。
         手つかずの見事な原生林です。向こうのピークの山は三ッ石山のようです。左手手前の
         尾根越しに、秋田県側の玉川源流部が続いています。(大白森からの眺め)
                  ブナについての豆知識
     ブナはブナ科ブナ属の落葉高木で、北半球の温帯に10種が分布し、日本にはブナとイヌブナ
     の2種類が分布しています。気温が穏和で雨量が適度という環境は、ブナの生長に適しているだ
     けでなく、人間にとっても生活しやすい環境で、ヨーロッパ全域、中国、日本、北米東部というブナ
     の分布する地域は、いずれも文明の発達している地域と重なります。豊かなブナの森が、文明発
     達にマッチしていたからでしょう。日本では北海道南部の平地から鹿児島県の山地まで広く分布し、
     代表的な温帯落葉林を形成しています。
      脂肪分の多い実を結び(ソバのような形をしており、ブナはソバグリの別名もある)、これが栄養
     豊富で野生動物の大好物になっています。もちろん人間も食べられます。数年周期で大豊作にな
     るという習性をもっており、なぜそうなのかいろいろな仮説があります。種子生産の少ない年をつく
     ることで食害者の昆虫や小動物の密度を下げておき、豊作年に動物が食べ切れないほど種子を
     生産して子孫を残す、そういう戦術という説が説得力があると言われています。
      ブナ林を歩くと林内が明るく、スギなどの人工林とちがって開放感を実感しますが、そのために
     多くの場合、林床はササや低木などによって占められています。そんな中でどうしてブナの幼樹
     が育ち、あのような純林になるのか、これは一つの不思議といわなければなりません。
      ブナの樹形はちょうど「ろうと」のような形をしており、雨が枝から幹を伝って根元に集まるように
     なっています。落葉を積み重ねたスポンジのようになった森の床は、雪や雨の水をたっぷりと抱え
     込み、「緑のダム」となっています。こうした保水力は、多雪地帯の水源涵養林として重要な役割
     を果たしています。国土保全の上からも、こうした緑のダムの養成は欠かせません。
      現在は自然保護の観点から、国有林でのブナの伐採はほとんど行われていません。それはそ
     れで結構ですが、これからは荒れた山地に、生態系に適合した樹種を植林していく、その事業に
     力を注ぐべきではないでしょうか。