民話の里を彩る        遠野のサクラ  民話の里として知られる遠野。北上高地のなかにある盆地で、
古くから拠点的に開発された地でもありました。北側に早池峰山、
薬師岳を背負い、地域に伝わる民俗・文化を継承してきています。
天然記念物も多く指定されて、保護・管理されています。「遠野市
が指定する天然記念物」一覧表で見るように、その数は40を超え
るに及んでいます。
 その中でサクラが10ヵ所ほど、指定されているのも一つの特徴
です。かつて城があった市立鍋倉公園は整備されて、サクラとツツ
ジの名所になっていますが、天然記念物に指定されているサクラを
訪問して歩くのも、遠野探勝の隠れた魅力の一つです。
 今回は5ヵ所の掲載になりますが、新たに訪問の都度付け加えて
紹介します。 
       大日山の桜   遠野市指定の天然記念物
 所在地 遠野市遠野町 日枝神社
                    まだ健在です
 (案内板より)             大日山の桜
       此の桜樹エドヒガンザクラは、貞享2年の春(西暦1685年)遠野郷の旧領主第23代南部
        義長公の祈願により、善応寺住職宥如法印をして湯殿山の分霊を勧請してこの境内に
        大日堂を建立せしめられたときに宥如法印の手によって植えられたと伝えられている
        (遠野古事記及び居能嘉矩史跡調査復命書に拠る)
         明治維新の頃、廃仏毀釈と云う神仏分離令が出され、元小学校敷地にあった善応寺、
        東善寺、妙泉寺の三か寺 は廃寺となり、大日堂も共に廃され日枝神社と改められ、スサ
        ノオ命の御孫にあたる大山咋之命を祀り現在に至っている。
         「天に聳えたち満山の杉松蓊翠たる樹間に茂りて春の花色を洩らす景趣は万緑叢中紅
        一点の観があり、歴史的名木中の名木」と称されてきた。
         昭和初期の落雷で上半分が割れ落ち且つ長年の風雪により幹は空洞化しているが、
        樹勢は旺盛である。
         毎春美しい花を咲かせ、花見の名所であり環境美化巨木として貴重である。
         樹高12メートル、根回り周囲7.85メートル、幹回り周囲6.6メートル、
         枝下2メートル、樹齢312年
                                         遠野市教育委員会

       ※ここに出ている「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」。明治維新政府による神道国教化政策に
        ともなっておきた仏教の抑圧・排斥運動をいいます。維新政府は1868年に「神仏判然(分
        離)令」をだし、神仏習合を打破する政策を展開しましたが、そのなかで復古神道家や地
        方官による、寺院、仏像、仏具などの廃止・破却などの運動が全国的に相次ぎました。
        岩手県内各地の寺院も大きな被害を受けています。この運動は日本の伝統的な文化、
        文化財に大きな損失をもたらしました。またこの運動はその後の仏教教団の、絶対主義
        天皇制国家への従属の道の大きな契機にもなりました。
         非常に残念なことで、二度とこのようなことがあってはなりません。
   シダレザクラ   遠野市指定の天然記念物
 所在地 遠野市青笹町中下 喜清院 
               枝が見事なまでに枝垂れています
                       喜清院のシダレザクラ
      遠野市青笹町にある喜清院。「遠野町誌」によると、この寺は1605年(慶長10年)土淵村
       常堅寺末寺として建立されたとあります。常堅寺はカッパ淵に隣接し「カッパ狛犬」の寺と
       して知られている寺です。そちらの方の創建は1490年とされています。
        初代のシダレザクラは、享保5年(1720年)に六世清和尚が堂前に手植えしたと伝えられ
       ています。それが明治23年(1891年)の火災で焼失したが、初代の樹の実生を植えたのが
       現在の樹であるということです。ご覧のように、多くの枝が見事に枝垂れています。
         宮の目の畑蒔桜   遠野市指定の天然記念物
 所在地 遠野市綾織町大久保宮の目
               地域住民に親しまれたサクラ
                      宮の目の畑蒔桜
      探しあぐねて、道路から少し入った農家で訊ねたところ、その農家の裏手のサクラが
     そうでした。解説版はありませんが、この1本サクラはエドヒガンでしょう。樹齢も相当の
     もののようです。名称からして、当地では昔から春の開花は農作業の指標にもなって
     いたと思われます。
      遠野市博物館発行の資料によると、樹種はやはりエドヒガンで、目通り幹周り3.82m、
     樹高は16.5mあり、推定樹齢は約300年以上だろうということです。
     横田城跡のヒガンザクラ・ヤマザクラ   遠野市指定の天然記念物
 所在地 遠野市松崎町光興寺 
            枯れ果てる前に……昔の栄華を物語っているよう
             横田城跡 薬師堂脇に佇むヒガンザクラ(左)とヤマザクラ(右)
          かすかに見せるヤマザクラの花枝。 5月5日なのに、花はまだ少し早いようです
          訪れる人も見かけず、消え行くような佇まいの横田城跡薬師堂(一帯は主郭跡)
         遠野盆地の南西部に位置する横田城跡を訪ねてみました。ここには遠野市が天然
        記念物として指定しているヤマザクラとヒガンザクラがあります。横田城跡は荒れ放題
        の状態で、樹齢何年になるのでしょうか、老木となったヤマザクラとヒガンザクラは老
        残の身を晒しながらも、かすかに蕾をつけていました。その姿は、最後の命を振り絞っ
        て、訪れる人に昔の栄華を語っているように見えます。

       横田城は南部氏の前に遠野を治めた阿曾沼氏の歴代の居城として知られています。
        平泉藤原氏が源頼朝に亡ぼされて、岩手県一帯は鎌倉御家人たちが戦いの論功によ
        って地頭職に任命されていくわけですが、遠野十二郡を治めたのが阿曾沼氏でした。
        以来群雄割拠の時代を生き抜き、最後は関が原の戦いと時を同じくして南部氏の軍門
        に下ることになりますが、その間約4百年にわたって阿曾沼氏は遠野を治め、ここ横田
        城がその居城となりました。ただし南部氏に亡ぼされる20年ほど前に物見山麓鍋倉山
        に移城しています。現在の鍋倉公園のところです。

       ここ横田城から鍋倉山に城が移されて430年余が経っています。この2本のサクラの
        老木の樹齢はわかりませんが、その様相からして、城が移ってからの地域の動きを全
        て見てきたように思えてなりません。
         遠野のモリオカシダレ   岩手県指定の天然記念物
 所在地 遠野市松崎町駒木
                     もう枯死寸前
 (案内板より)   岩手県指定天然記念物  遠野のモリオカシダレ
                              指  定  昭和52年4月26日
                              所在地  遠野市松崎町駒木第15地割

       モリオカシダレは大正9年(1929年)三好学が盛岡市龍谷寺で発見した珍木。ソメイヨシノに
      似ているが、シダレ性で、子房や花柱は無色。花は白花などの差があります。シダレヒガンと
      オオシマザクラ系のサトザクラとの雑種と考えられています。本樹は明治初年ころ隣村旧附
      馬牛村(現附馬牛町)大出から移入したと伝えられています。
       指定当時根元周り3メートル、地上70センチで二また。南枝目通り周り1.58メートル
      枝張り南北17.80メートル、東西13.20メートル、樹高約9メートル。
                                       昭和54年2月26日
                                       岩手県教育委員会
                                       遠野市教育委員会