珍しいウルシの大木
越田橋のウルシ
 ウルシの木の幹から採取した樹液、それを精製したものを「漆」といいますが、これは優れた塗料となり、酸、アルカリ、アルコールなどに強く、耐久、耐水、断熱、防腐性などに優れ、古来漆器として、また各種生活用品や芸術工芸品・建築物などの塗料としてまた接着剤として重宝されてきましたこれに勝る合成塗料はまだ開発されていません。
 日本のウルシは漆をとるために古い時代に大陸から渡来したものと考えられてきましたが、縄文時代早期前半の複数の遺跡から、漆を施した装飾品が出土しているのが見つかっています。そうした事実から当時にして日本にウルシが生育していたこともわかってきました。しかし日本に多く自生するヤマウルシは漆塗りには利用できず、自生のウルシ分布は人間の生活圏に近い狭い範囲に限られ、それでいて各地に分散し、多くの謎が残っています。日本のウルシのルーツのはっきりした解明は今後の研究に委ねられています。
 そんなウルシですが、一戸町に町が天然記念物に指定しているウルシの大木があるというので訪ねてみました。ウルシはかつて藩政時代までは「養生掻き」と言われる方法でウルシの木を長く生かしておき、漆もほどほどに採り、実も採るという掻き方でしたが、明治期になってからは「殺し掻き」と言われる掻き方で、1年の内に漆を採取し尽くす方法がとられるようになりました。それによって漆を採った後のウルシの木は伐採されてしまいました。そのためにウルシの古木・老木は目にすることはなくなってしまいました。  
越田橋のウルシ  一戸町指定の天然記念物
 所在地 一戸町一戸字越田橋
       一戸町の「越田橋のウルシ」は珍しいウルシの大木で、その珍しさが故に天然記念物に指定
       されました。このようなウルシの大木が残っているのは全国的にも珍しく、その樹高や太さは日本
       一クラスとみられています。

       一戸町の広報によると天然記念物に指定されたのは平成21年(2009年)11月で、その時点で
       樹高13m、胸高幹回り2.16m、樹齢推定60年ということです。この写真撮影の時点(2019年)では
       推定70年といったところです。 
   
        この「越田橋のウルシ」、一見して大木の感はしませんが、これがウルシとしては
         日本ではナンバーワンクラスということです。
よく見ると樹勢が衰え葉は少なく、多く
         の枝先は枯れており、すっかり老衰期を迎えているようです。
          ウルシは落葉高木で、数本の幹を叢生するとありますがこの木もそうなっています。
         樹液は漆として利用され、藩政時代までは実から蝋を採ってローソクを作っていまし
         た。実の中に種が入っていて、その種を覆う蝋成分を採取するという大変な作業でし
         た。材は黄色で軽く、漁具の浮きに使われていました。
          またウルシは紅葉が美しいことで知られていますがそれはヤマウルシ、ツタウルシ
         のことで、ウルシは黄葉します。

       ウルシというと「かぶれる」イメージがありますが、漆の主成分ウルシオールが触れ
         ることによる体の反応で、その症状は個人差が大きいようです。
               
漆のことがよくわかる
浄法寺 歴史民俗資料館
      “漆”と言えば古くから「南部漆」の産地、「浄法寺塗」で知られる二戸市浄法寺が有名です。
       浄法寺は古刹天台寺でも有名ですが、この寺の境内入口付近に「浄法寺 歴史民俗資料館」
       があります。ここは“漆 民俗資料館”と呼ぶにふさわしい展示内容を誇っています。浄法寺
       塗りの数々、古い漆器、伝統的な漆採取のための道具・器物、漆の色々な利用物等々、まさ
       に漆の博物館そのものです。特にうるし掻き技術に関する展示物が多く、ウルシ、漆を知るた
       めには必見の資料館です。

      2020年12月、浄法寺の「日本うるし掻き技術保存会」はユネスコによる(世界)無形文化遺
       産の登録を受け遺産リストに記載されました。「伝統建築工匠の技 木造建築物を受け継ぐ
       ための伝統技術」として日本から17の分野の技術が登録されましたが、その1つとして選定さ
       れました。浄法寺のうるし掻き技術が世界の無形文化遺産に登録されたということは、日本の
       伝統的建築文化を支える上で、それが世界に誇る技術であることを証明したものと言えるで
       しょう。
        (下の2枚の写真は 浄法寺 歴史民俗資料館発行のパンフレットから転用)
ふるさと文化財の森 指定第一号
うるしの森
  国指定のふるさと文化財の森(指定第一号)
  所在地 二戸市浄法寺町明神沢 
     藩政時代、漆は盛岡藩の貴重な産物として藩内では盛んに生産が行われていました。浄法寺を
     含む二戸地方は当時藩全体の半分近くを産出していたようです。漆の需要は増えて明治以降も盛
     んに生産されていきますが、明治期には古くから漆掻き職人が多かった福井県今立地方から出稼
     ぎ職人が岩手に進出して来るようになり、「越前衆」と呼ばれました。当時現地では「養生掻き」と言
     われる方法で漆を採取していましたが、越前衆と呼ばれる職人たちは生産効率が高い「殺し掻き」と
     言われる掻き方で採取し、その方法が定着していきました。現在もその方法が採用されています。
     15年程育てたウルシの木の幹に傷をつけて樹液を採取するわけですが、初夏から初冬まで採り続
     け、1年で採り尽してしまい、その後伐採してしまう方法です。1本の木から200グラム(200ミリリットル)
     程度、すなわち小さい方の牛乳パック1個分程度しか採れないということです。15年も育てたウルシ
     の木1本から、これだけしか採れないわけですから、いかに貴重なものであるか想像できます。
      大正・昭和にかけて需要が高まり販路は海外まで拡がり、戦中、戦後と漆の盛況をもたらしました。
     しかし戦後の生活様式の変化もあって漆の需要は激減し、さらに海外からの安い漆の輸入によって
     国産漆は低迷の時代を迎え厳しい時代が続いています。
      現在国内漆需要の97%は輸入漆で賄われ、国産漆は3%に過ぎないそうです。その3%のうち70%
     は二戸地域を中心に生産される浄法寺漆が占めていますので、まさに浄法寺漆は日本の漆を背負っ
     ていると言えます。
      苦境に立つ漆業界に一筋の明るい光が灯っています。それは国宝級の建造物・文化財の修理に
     国産漆が使われるようになったことです。国内漆の品質の良さが再評価され、文化庁は2018年
     (平成30年)からその修理にはすべて国産漆を使用する方針を採用しました。
      こうした動きと軌を一にして、文化庁は「ふるさと文化財の森」を設定し、技術の研修、普及啓発事
     業を行う「ふるさと文化財の森システム推進事業」を実施するようになりました。国宝や重要文化財
     などの国の宝を後世に伝えていくには修理が必要ですが、日本の文化財はほとんどが天然の材料
     でつくられているので、漆や茅などの資材確保と共に、資材を扱う技術者の育成が必要との方針に
     基づいてこの事業は進められています。
      こうした国の方針のもとで、二戸市が所有する浄法寺明神沢地区約4ヘクタールのうるし林が「ふ
     るさと文化財の森」第一号として、2007年(平成19年)に認定を受けたのでした。これを励みに漆の
     木を育て漆の森を守る活動も広がりをみせています。この事業が地域振興に結びついて、大きく発
     展することを願って止みません。
                 漆の森入口に立つ案内板
いわての漆の歴史がわかる
「いわて 漆の近代史」
         一戸町の天然記念物「越田橋ウルシ」を訪ねたのがきっかけとなって「漆」
           についての関心が高まりました。漆なら浄法寺ということで、漆の博物館とも
           聞いていた浄法寺歴史民俗資料館を訪れました。またそのすぐ側に浄法寺
           塗りの殿堂とも言える滴生舎の展示場がありましたので、そこも訪れ、漆につ
           いてのいろいろな知識を得ることができました。そして浄法寺町内には実際に
           漆の採取が行われているうるしの森がある事を知り、そこも訪れることになりま
           した。
            それらを訪ねる中で、縄文時代の遺跡から漆に関する資料が出土している
           ことを知ったのは、ある面で強いカルチャーショックでした。あの土器の生活
           の時代に漆の装飾が施されていたとは……この地に住むものとして、古くか
           らの漆との結びつきに強く心が惹かれます。そして漆が日本人の精神文化に
           深く根づいたものであることを実感したのでした。
            私たちの遠い祖先は何と豊かな感性をお持ちだったんでしょう。現代人は
           効率、生産性といったものを重視のあまり、また即物的なことにとらわれて、
           瑞々しい感性、文化的素養、芸術的感性を失っているのではないでしょうか。
            先人たちの漆へのこだわりを強く感じ、そんな歴史にふれた本がないか探し
           たところ工藤紘一著「いわて 漆の近代史」:発行川口印刷工業 を目にするこ
           とができました。これを読んで、郷土いわてにおいて漆と人々の生活が強く結
           びついた時代が続いていたことを知ることができました。

         豊かな漆文化がいわての地から再び興隆することを願って止みません。