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岩手山の東側裾野は広大な原野状態で、陸上自衛隊岩手山演習場や牧野が広がっています。その裾野の北東に位置するところに、黒っぽい山肌が何かを流したように見えるところがあります。日本の代表的熔岩流として国の特別天然記念物に指定されている焼走り熔岩流です。
現地の案内板などでも解説されていますが、1731年の岩手山最後の大噴火の時に流れ出した熔岩流で、その延長は約4,000m、幅は噴出口から下方へ次第に広がり、末端部では1,500mに達しています。噴出年代は享保4年(1719年)とされてきましたが、研究が進み、旧藩時代の盛岡藩の家老日記ともいえる「盛岡藩雑書」などの記録から、享保16年(1731年)が定説となっています。
この熔岩流は噴出時期が明確で、比較的新しく、植物もまだほとんど生えないために、その様子がはっきりわかり、学術的にも貴重なものです。最初に見たのは半世紀も前のことですが、当時は交通も不便で、全く自然のままになっていました。現在ではすっかり観光地化し、熔岩末端部周辺の開発も進みました。いまあらためて現地に立ってみますと、熔岩流への樹木の進出が目につきます。長い年月のうちには、ここもやがて樹林帯へと変って
いくのでしょう。 |
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熔岩流の末端部周辺からの眺め |
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焼走り熔岩流の末端部は近年開発が進み、「岩手山焼走り国際交流村」として各種施設が
整備されています。熔岩流を一望できる展望台も設置され、熔岩流原に散策路も整備されて
います。またここは熔岩流噴出口跡を経て、岩手山に登る登山口にもなっています。 |
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下の写真は熔岩流末端部にある駐車場に掲げられている看板です。設置されてから相当の
年月が経っていますが、これを読むとこの熔岩流のことがよくわかります。(看板は1990年6月
下旬に撮影したもの。案内板は現存しています)。
特別天然記念物 焼走り熔岩流
所在地 岩手県岩手郡西根町平笠上坊山国有林551林班
面積 149.63 ヘクタール
岩種名 含カンラン石シリ輝石普通輝石安山岩
指定 昭和27年8月29日 文化財保護委員会 告第40号
岩手山に有史以来たびたび火山活動を繰り返してきたことは史実に明らかな通りである。その最後
の活動即ち享保4年(1719年)正月、今を去ること二百数十年前の噴火の際、東側の小火口より流出し
た熔岩流を「焼走り熔岩流」と称している。恐らく赤熱した熔岩流が急激な速度で流下したのを当時の
人が目撃してかく命名したものであろう。
その小火口は、小さな円錐形をなして山腹より突出し、その高さは僅か4〜5米に過ぎないが、直径
4米程の凹穴をなし、不完全ではあるが1個の寄生火山と見做される。迸出した熔岩流は東北斜面を
流下し、山麓の小丘たる三ツ森の西にまで達している。熔岩流の延長は約4,000m、巾は1,500mに達し
ている。これは噴出時期が比較的新しいので、風化作用はまだ充分進まず、その表面には土壌を生
成するに至らない。従って上端の一小部分を除く外は未だ樹木の発生を見ず、シラガゴケその他蘚
苔類、地衣類が着生しているに過ぎない。その表面には波状の凸凹があって、一見虎の斑紋の如く
見えるので、これを「虎形」とも称している。これは流動の途中に冷却して、所々で停滞して起伏を生じ
たことによるものである。熔岩は暗黒色を呈し、著しく多孔質な塊状熔岩で、小は拳大より大は数米に
達する熔岩塊が雑然と推積している。
火山国たるわが国では熔岩流は決して珍しいものではない。然しこの焼走り熔岩の如く、噴出時代が
明らかで噴出後二百数十年を経た今なお樹木の発生を見ず、荒涼たる岩原を現出しよく全貌を留めて
いるのは稀に見るところであって、学術的に貴重なものである。かつて宮沢賢治が訪れて詩「鎔岩流」
にその深淵の激しい鬼気を表現しています。
尚、この熔岩は特別天然記念物に指定されておりますので、持出し積重ね、き損等現状を変更した
ときは文化財保護法により罰せられます。
岩手営林署 西根町
熔岩流の解説はなるほどと頷けますが、問題は赤文字のところです。こんなことを言っておきながら、
近年熔岩流のど真ん中に手を入れて、散策路を造っているのですから、国の保護政策は全くいい加減
なものといわなければなりません。造成を計画した人、それを許可した人の見識を疑わざるを得ません。
このような貴重な自然遺産は、原生のままにして後世に残すべきです。
なお文中、享保4年(1719年)とあるところは、今日では享保16年(1731年)が定説になっています。 |
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噴出口跡付近にて |
焼走り熔岩流末端部の右側から、岩手山に登る口登山道があります。登りはじ
めて1時間半くらいのところに第2噴出口跡があり、さらに少し登ると第1噴出口跡
に達します。焼走り熔岩流の噴出口は縦列に数ヵ所あったようですが、はっきりわ
かるのはこの第1と第2の噴出口跡で、その他は窪地であったり植物に被われてい
るなどして不鮮明です。第1噴出口跡と第2噴出口跡ともに、山腹から熔岩の塊状
のところが数メートル程盛り上がった状態なので、「ああここだな」とわかります。
特に第2噴出口跡は現地表示もあり、噴出口の原型も残っていて、一見に値します。
熔岩流の規模からして噴出口跡も大きなものをイメージしますが、意外に規模は
小さいものです。 |
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現地案内板の図からその一部をコピーしたものです。焼走り熔岩流の
上方には、上の方から第1噴出口跡、第2噴出口跡が見られます。第2噴
出口跡の方は現地に案内標識もあります。
下の写真は第2噴出口跡で撮ったものです。植物がかなり
侵出してきておりますが、落葉の季節には噴出口跡の様子が
よりはっきりするでしょうね。 |
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第2噴出口跡の様子 |
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第2噴出口跡から見下す焼走り熔岩流 |
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第2噴出口跡から見上げる岩手山。右手熔岩の盛り上がりは第1噴出口跡 |
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岩手山山頂から眺める焼走り熔岩流 |
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この写真は1986年8月上旬に、岩手山山頂のお鉢めぐりの際撮ったものです。
熔岩流末端部の開発もまだ部分的です。熔岩流右手に広がる緑地は、陸上自
衛隊の演習場になっています。
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「熔岩流」についての豆知識
地下にあるマグマが地表に放出されたものが熔岩で、熔岩が噴出口から流出して
山腹を流下するものを熔岩流と呼んでいます。熔岩を構成する岩質のちがいによって、
その流れ方もちがってきます。一般に玄武岩質のものは粘り気が低いのでよく流れ、
安山岩質の熔岩はあまり流動的ではなく、ごつごつした固結となり塊状熔岩となります。
焼走り熔岩流は後者の方で、熔岩は多孔質なのが特徴です。これは熔岩が流下中に、
その中に溶けていたガスが抜けた跡です。粘性が高い粘り気の強い岩質では地表に
出ても流下せず、地下からの圧力によって押し出されて、熔岩円頂丘をつくる例もあり
ます。北海道の昭和新山はその例です。
噴出する熔岩の温度は1000〜1200度といいますから、まさにすべてを焼き尽くしてし
まいます。この焼走り熔岩流が噴出・流下したのは280年ほど前のことですが、往時の
現地の人たちはびっくりしたでしょうね。目撃しての命名は、「ヤケハシリ」ではなく、「ヤ
ケッパシリ」だったでしょう。
それにしても地下に灼熱のマグマがあるというのは不思議なことです。火山国日本は
火山で痛めつけられることも多いのですが、考えてみればそれは無尽蔵な熱資源。地
下の熱をもっともっと手際よく、うまく利用する技術を生み出して、発電などに活用してい
きたいものです。
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